教祖ひながたは何年間?
第二次世界大戦終戦後、信仰の自由によって、当時の二代真柱様によって教理研鑽がなされました。
その研鑽の中で天理教内でもいろいろな論争がありました。
その中に、
「教祖のひながたとは、いつからいつまでを指すのか?」
という論争でした。
しかし、これは終戦後まもなく、二代真柱様の「復元」によってハッキリしました。
ひながたとは、教祖が月日のやしろになられてから現し身を隠されるまでの50年間を「ひながた」と呼ぶのです。
では、月日のやしろになられる41歳までの「人間中山みき」は、ひながたではないのでしょうか?
もちろん、ひながたではありません。
しかし、この「人間中山みき」としての41年間は、「人間としての最高の生き方」であると教えられています。
「ひながた」と「人間としての最高の生き方」の違いとは?
それでは、「人間中山みき」としての生き方と月日のやしろになられてからの「ひながた」とは、具体的に何が違うのでしょうか?
二代真柱様の「第16回教義講習録」では、
“「人間中山みき」としての生き方は、とても素晴らしいものですが、そのような生き方をされる方は、世界を探せば少数ですがおられる。”
「第16回教義講習録」
ということを述べられています。
ですが、月日のやしろとなられてからの50年のひながたは、誰も通ったことのない唯一無二の通り方であり、「全人類のお手本」であるのです。
ここが「人間中山みき」としての通り方と「ひながた」としての通り方との決定的な違いであります。
詳細は☟の記事をご覧ください!
【教祖伝入門】天理教教祖伝を読む前に見る記事!教祖ひながたの3ヶ条
一概に、「全人類のお手本」といっても分かりにくいと思います。
ここでは、大きく分けて3つのひながたを紹介します。
- たんのう一条
- 神一条
- たすけ一条
まず「1.たんのう一条」とは、単なる辛抱・我慢ではないのです。
たんのうとは、どんな中も喜んで通る生き方であります。
そして「2.神一条」とは、自分の思いを入れず、教祖が親神様の内なる声を全て素直に通られたということ。
そして、最後の「3.たすけ一条」とは教祖伝でも書かれているように、どのような方々がこられても、おたすけなさったということ。
他にもいろいろな悟り方があると思いますが、ここでは大きく分けてこの3つひながたこそが我々が学ばなければならないポイントだと思うのです。
天の理とは何か?
理天の理は4つの表現がされています。
- 「誠一つが天の理」
- 「順序一つが天の理」
- 「二つ一つが天の理」
- 「成ってくるのが天の理」
誠一つが天の理
おかきさげに記されているように、
誠=人をたすける心
この「人をたすける心」は天の理なのであります。
順序一つが天の理
おさしづに
「さあ/\月日がありてこの世界あり、世界ありてそれ/\あり、それ/\ありて身の内あり、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで」
おさしづより(明治20・1・13)
とあるように、物事にはちゃんと順番があるのです。
これは、社会においても上司と部下であったり、天理教でも上級教会と部内教会であったりと順序秩序があるのです。
この順序一つも天の理なのであります。
二つ一つが天の理
二つ一つとは、異質な物が融合して一つの物になった時に、何が生み出されることを指します。
哲学的な観念でいうと「弁証法」ということが言えると思います。
男と女、高いと低い、陰と陽、裏と表、光と影
これは我々布教師でも一緒です。
布教していれば、大抵相手から上から目線で高くものを言われることがあると思います。
しかし、この時にこちらも高く相手に言い返してしまうと、高い同士でぶつかって破壊してしまうのです。
ですが、相手が高く言ってきても、こちらが低くそれを受けさせて貰えば、高いと低いが融合して新たな生み出しがあるのです。
成ってくるのが天の理
これは「いんねんの自覚」です。
これは、今まで自分自身が前生、前々生に蒔いてきた種や、先祖が蒔いてきた種が生えているだけなのです。
「蒔いたるものは皆生える」
「蒔かん種は生えない」
このことを通して、「いんねんの自覚」と「かしもの・かりものの理」ができるのです。
出てくる現象に対して、「かしものかりものの理」が収まっていれば不足することはなく、むしろ喜びに変えることができるのです。
ある先生から
「成ってくる理をを喜べ!今の借り物がちょうどええんやで。」
とお教え下さいました。
この世の全ては、全て自分の心に対する借り物であり、もしその借り物に不足があ自分自身が変わらないといけないということです。
まとめ
この4つの天の理に即した生き方は、教祖のひながたにあり、そのひながたを通るには
教祖のひながたである
- たんのう一条
- 神一条
- たすけ一条
この3か条をしっかりと心に収め実行しなければならないと思うのです。