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天職から修養科へ
私は、5歳の頃から看護師になることを目標としており、フライトナースになることを目指し、看護師としてバリバリ働いておりました。
医療現場の忙しさの中にも、仕事の充実感や達成感で向上心がどんどんと湧き上がり、この仕事が自分にとって天職のように思っており、仕事が一番、充実している時でした。
仲の良い友人2人に、突然「一緒に修養科に行こうよ」と、誘われました。
大変悩みましたが、「これも何か意味があるのかなぁ?」と考え、3か月を終えたらすぐに医療現場に戻ろうと思い、修養科に行かせていただきました。
修養科でのご縁
修養科で、八生兵庫分教会の奥様である西村順子先生とのご縁を頂きました。
西村順子先生より、「あなた、布教の家兵庫寮においでよ」とのお言葉を頂きました。
「布教の家に行ってみたい」という気持ちは、芽生えてはきませんでしたが、自分の意志とは関係なく、周りの世界がどんどん動いていきました。

運命の財産・無限の世界
西村順子先生には沢山お心をかけていただきました。
「布教の家の一年間は宝の時間やで」
「無限の世界。楽しいで。おもしろいで」
「運命の財産つめるんやで」
当時自分がどのような感情だったのかは正直あまり覚えてはいませんが、気付けば布教の家兵庫寮に入寮させていただいておりました。
兵庫寮に入寮
入寮早々、コロナ感染拡大による、緊急事態宣言発令で教区から出れなくなり、自分自身の心の葛藤に苦しみました。
「何しに来たんやろ。。」
「来る場所間違えてしまったなぁ。。」
「看護師にもどりたいなぁ。。」
世間から外れたことによる、むなしさや後悔、そして何より、フライトナースになる夢を失ったような虚無感に襲われ、私の心はどん底でした。
寮長先生のお言葉
そんな時に、寮長先生である木下修一朗の言葉にに救われました。
「無駄なように思うことでも何一つ無駄はない。今は分からんくても、先々に、有難かったなぁ、結構やったなぁと思う時が必ず来るから。何一つ無駄はないで。」
「結構の中に結構はないんやで」
「苦労が種やで」
「人生は、心が高いか低いかで決まるんやで」
一瞬にして、心が軽くなりました。
何一つ無駄はない、当時の私の心に響き、力が湧いてくるような感覚がありました。
本格的な布教を開始
約2か月間の自粛期間を経て、マスク装着の上、ソーシャルディスタンスを保ちながら、外に出ての本格的な布教が始まりました。
年間通して、駅や、街頭での声掛け布教は禁止。全て、指一本でのインターホン布教です。
寮長先生より、
「においをかけようとか、お話を聞いてもらおうとか思わなくていい。自分の思いは横に置いて、ただただ、おやさま、おやさまと心に念じて歩きなさい」と、ご指導頂きました。

コロナ渦のおたすけ
ある日、いつものように、戸別訪問でインターホンを押し、「こんにちは!陽気ぐらしの天理教です!」と声を掛けましたが返答はありません。
無言だったのですが、人の気配を感じました。
しばらくして、
「桜の絵を描いてポストに入れてほしい」
これまでにない返答に驚きました。
私は、紙とペンこそ持ち合わせていなかったのですが、おぢばの四季の絵葉書と満開のしだれ桜の写真を持っていたので、リーフレットと一緒にポストに入れさせていただきました。
本格的なおたすけへ
その日から、その方のおたすけが始まりました。
明らかに何か様子がおかしい、かぼそく弱々しい声、玄関の扉越しにも伝わってくる異様な空気感、3日間仕切って神様にお願いさせて頂きました。
そして3日目の夜に、相手の方から電話がかかってきました。
「ある事情から、生きていくことへの限界を感じ、自宅で今から首を吊って死のうとしていたちょうどその時に、天理教のあなたが訪ねてきて、死ぬ前に日本の美しい景色が見たいと思って、桜の絵を描いてほしいとお願いした。」
「こんなにも苦しいのに、辛いのに、死んだらきっと楽になれるのに、呼んでもないし、頼んでもないのに、なんで勝手に来たのか、、、」
その方は、怒りながらも電話越しに、ただただ泣いておられました。
親の声
私は、「何とか助かって頂きたい!」という思いより、「この方が死んでしまったらどうしよう、、、」という怖さを感じました。
寮長先生より、「相手の話をじっくり聞いて、そして、かしものかりもののお話をさせていただきなさい」
との親の声を頂きました。
時間のお供え
6座のおつとめ、5日間の断食、布団のお供え、そしてひのきしん、時間をお供えして思い付く限りのことをさせていただきました。
相手の方は事情で精神を病み、対人関係恐怖症となっていたので、関の扉は開けてはくれず、全てインターホン越しのやりとりでしたが、「何とか助かっていただきたい!」その思いだけでした。
教えていただいたように、インターホン越しに、かしものかりもののお話を伝え、そして、元の理を拝読し、玄関の外でおつとめをして帰る、3か月間続けました。

親の声は命
ある日、そのおたすけのことを木下恵美子先生にご相談させていただくと、
「おたすけがマンネリ化してきてるなぁ。あんたのその長い髪の毛切ったらええねん。そしたらそんなんすぐに、玄関開けてくれる!」
え、どういうこと?
私の頭の中は、ハテナマークしかありませんでした。
大事な髪の毛ですが、これで玄関の扉が開くならばと、翌日すぐに美容院に行き、髪の毛を切り、そのままの足で相手のお宅に急いで向かいました。
すると、出会って4か月目にしてようやく、玄関の扉が開き、そして、おさづけを取り次がせて頂くことができました。
満開のしだれ桜
その後、初席を運んでいただくことができ、神殿でおつとめを終えると、その方はカバンから何か物を取り出しました。
それは、出会った初日にポストに入れた、満開のしだれ桜の写真でした。
その方は「ありがとう、ありがとう」と言い、かんろだいと桜の写真を交互に見ながら、静かに泣いておられました。
親はいつでも、私たちの帰りを待っておられるんだなぁ、我々全人類の魂のふるさとおぢば、尊い場所だなぁと、身に染みて感じさせていただきました。
おやさまは御存命である教えとして、頭では理解しているつもりでしたが、この方のおたすけを通して、御存命のおやさまのご存在を確信することができました。
「親の声を聞いた」という理が働く
木下恵美子先生に、「どうして髪の毛を切ったら、玄関の扉が開いたんですか?」とお尋ねすると、
「親が言ってることが正しいか間違ってるかはどうでもいいねん。髪の毛と玄関の扉の関係性とかそんなんじゃない。親の声を素直にはいと聞いたら『親の声を聞いた』という理が働く。それがあんたの運命をたすけてくれる。親の声は命やで。親の声は命なんやで。」
なんて素晴らしい教えなんだろうと、感動して涙が溢れました。
布教に歩く中で気づいたこと
布教の家兵庫寮で、布教に歩く中で、自分の心と向き合い、これまで気付かなかった自分の心の高さや弱さを教えていただき、お出会いした方のおたすけを通して、本来なら因縁で苦労する人生をおたすけの苦労にかえていただいているというを身をもって実感させていただきました。
このことに気付かせていただいたのも、親神様、教祖のお導きにより、布教の家兵庫寮に入寮させていただいたお陰であり、そして何より、親々の伏せ込み、親がいつもいつも陰で願ってくださっているお陰であります。
卒寮後
布教の家を卒寮したのち、現在は神戸に残り、布教をさせていただいております。
単独となると、まずは生活面から整えていかないとと、頭でばかり考えていた私に、両親より、
「神様におもたれさせていただいたら、必要なものが必要な時に必ずあたわる。何も心配しなくていい。」
とのお言葉を頂きました。
本当に色々な日がありますが、
「楽しんだらいい。この道は楽しんで通る道や。楽しんだらいい」
父の言葉を胸に、これからも、御存命のおやさまのお供を楽しんで、そして、喜んでさせていただきます。