今回は、助造事件を中心に異端について思案していきたいと思います。
- 助造事件の概要
- 教祖が断食された理由
- 反対攻撃と異端の違い
- 異端とは具体的に何のか?
- 異端が許されない理由
- 教祖が月日のやしろであるエピソード
- 異端と対決する時の姿勢
ほこりはよけてとおれ
教祖は、文久、元治の頃から始まった近在の神職、僧侶、山伏、医者など外部からの反対攻撃に対して、
“ほこりはよけてとおれ”
と穏やかに対処しておられるのですが、異端・異説に対しては、とても厳しい態度で臨んでおられます。
助造事件と教祖の断食
慶応元年7~8月頃、教祖に眼病をたすけられた今井助造が、 自分の住んでいる針ヶ別所村が本地(本元) で、おぢば(庄屋敷村)は垂迹であると言いだしました。
垂迹・・・仏、菩薩が人々を救うため、仮に日本の神の姿をとって現れること。
この助造事件に臨んで、教祖は先ず30日間の断食をされ、その断食の直後に、当時の主立った大勢の人々をお供にして、教祖、御自ら針ヶ別所村の助造宅へ乗り込まれています。
なぜ長期にわたる断食されたのか?
教祖はなぜその時に30日もの長期にわたる断食をされたのか? という理由については、確かな話は伝わっていません。
ここからは、深谷忠一先生の悟りになります。
深谷忠一先生の悟り
教祖が異端を糾弾される理由が、“教祖の生活権が脅かされるから云々ではない” ことを、食を断った姿で明らかにされたのだと思うのです。
本家・本元の正当性の争いが起きるのは、お互いの名誉・プライドの問題もさりながら、本家を名乗ることが経済的に優位になるということが第一の理由でありましょう。
しかるに、教祖が助造に談判をしに行かれるのは、そんな下世話なレベルの理由からではないということではないでしょうか?
医者・山伏・僧侶の反対攻撃
医者 → 自分の患者が奪われることを心配
神職、僧侶、山伏 → 自分たちの信者が取られると心配
医者、神職、僧侶などは、さまざまな心配から教祖に種々と反対攻撃を仕掛けてきました。
いずれも、教祖が自分たちの縄張りを荒らす存在だと考えて、いわば、生活防衛のために教祖に掛け合いに来ました。
教祖にとって不本意なこと
しかるに、教祖は、生活をする手立てとして霊験を現されたのではありませんから、生活権のレベルの問題で相手と渡りあうことはなさらないのです。
むしろ、全ての人間の“をや”として、どんな人にも救いの手を差し伸べられる教祖のお立場からすれば、御自らが現される霊救によって生活に困る人が出てくるのは不本意なことなのです。
異端行為と異端ではない例
ここでは、異端とは何か?異端ではない例はどのようなものか?を考えていきたいと思います。
異端ではない例
例えば、
- 天理教のことを全く知らないで、似たような教説を何処かで新たな宗派を始める人
- 天理教の教理をつまみ食いのように取り入れて、 〇〇教なるものを作る人
しかし、それらは、天理教に似てはいるけれども天理教ではなく、それは他宗教、別の教団であって、そこが天理教を名乗らないかぎりは異端ではありません。
異端とは?
異端というのは、“教えにないことや教えに反することを、天理教の名のもとに説く”ということなのです。
世の中には、天理教の教説に同意できない人や神の存在を認められない人、宗教心はあっても教団に帰依はしないなどと言う人も居るでしょう。
しかし、そういう人たちは、天理教の信者ではない未信者、無信仰者だというだけで、異端者ではありません。
異端が許されない理由
しかるに、もし、疑似天理教、異端を天理教だと信じてついて行ってしまうと、それがその人の天理教なのですから、その人は本物の天理教に救われる機会を失ってしまいます。
ですから、 異端は許されない。
異端を糾弾するのは、生活権云々で争うのとは、全く次元が違う問題なのです。
教祖が神のやしろであるエピソード
今井助造が住んでいた針ヶ別所村というのは、現在の奈良市で、お屋敷から東に20kmの山中にあります。
教祖ご一行が通られたのは、岩屋ルートか長滝ルートのいずれかであったと推察されます が、その道筋は、今の時代に自動車で通っても大変だと感じられる坂道になっています。
その20km山道を、30日間の断食の後に、68歳の婦人が徒歩で登っていかれることは、人間業でないという点で、教祖が神のやしろであることが明確に示されています。
教祖のひながたから学ぶ
人間には、心の自由が許されていますから、いつの時代にも異端を唱える者が出る可能性はあります。
そして、その首謀者には、それなりのカリスマ性があり、人の心理の綾に入り込む才に長けているので、うかつな気持ちで近づくと、ミイラ取りがミイラになる危険性があるのです。
ですから、もし異端と対決しなければならないのなら、こちらも決して中途半端な姿勢で臨んではならない。
断食をして心を研ぎ澄まして、大勢の随伴者と共に対峙すべきであると、助造事件に臨まれた教祖の御態度をひながたから学ぶのであります。
まとめ
- 教祖は、外部からの反対攻撃に対して、“ほこりはよけてとおれ”と仰られた。
- 助造事件に臨まれた教祖は、先ず30日間の断食をされた。
- 異端とは“教えにないことや教えに反することを天理教の名のもとに説く”ということ
- 教祖が異端を糾弾される理由がは、教祖の生活権が脅かされるからではないこと
- 天理教に似ている信仰でも天理教を名乗らないかぎりは異端ではない
- 天理教に救われる機会を失ってしまうので異端は許されない。
- 異端と対決する場合、こちらも決して中途半端な姿勢で臨んではならない。