八生兵庫分教会後継者 西村真一 R187 『みちのとも 11月号』

現在、愛媛県松山市にて家族で単独布教されている八生兵庫分教会の後継者、西村真一さんが『みちのとも11月号』に掲載されました!

大きな節を見せて頂く中も、夫婦で心を定めて喜んで通られている話をされております。

どんななかも喜んで通りきる

八生兵庫分教会 後継者 西村真一『みちのとも』立教187年11月号 掲載

心定め

「年祭活動の期間、単独布教に行ったらどうや」

年祭活動が始まる直前の立教185年9月に、上級教会長さんから突然、声を掛けていただきました。

まさに青天の霹靂でした。

単独布教は暗くてしんどいイメージが強く、正直乗り気でなかった私は、

「子供も3人いますし、自分なんかが行っても何もできないと思います」

と曖昧な返事をしてしまいました。

しかし、妻に相談すると、

「単独布教って楽しそう。行きたい」

と、まさかの返事。

旅行か何かと勘違いしてはいないかとも思いましたが、よく考えたら妻の言う通りで、楽しんで通ればいい。

そして、いろいろなことを経験させてもらおう、と思えるようになりました。

後日、あらためて会長さんに

「単独布教に行かせてください」

とお伝えし、両親が30年にわたりさまざまな厳しい節のなかをおたすけに通い続けている愛媛県松山市で、立教186年2月から単独布教をさせていただいています。

布教を始めた当初は新たな土地が新鮮に感じられ、妻と子供と共に楽しみながら、戸別訪問を中心に歩いていました。

しかし、簡単ににをいが掛かるはずもなく、成果や結果の出ない日々。

だんだんむなしさを感じるようになり、妻に弱音を吐いていたのですが、そのたびに

「私は毎日楽しいよ」

と励ましてくれました。

また、兵神大教会の年祭活動方針は

「教祖のひながたを手本に明るい心で通りきろう」

なので、明るい心だけは絶やさず、

「毎日結構や」

と自分に言い聞かせ、夫婦で歩むことのありがたさを感じながら通るよう心がけました。

そんななか、昨年9月に、これまでの人生で一番つらく苦しい節をお見せいただいたのです。

ふしから芽が出る

自教会の月次祭を終えて神戸から松山に戻る途中、当時3歳だった次女が突然嘔吐し、けいれんを起こしました。

けいれんは初めてではなかったので、不安を抱えながらもおさづけを取り次ぎ、再び車を走らせました。

しかし、途中でまたけいれんを起こしたので、

「これはまずい」

と思い、すぐに救急車を呼びました。

救急車の中でも病院に着いてからも、けいれんを起こします。

一日に何度も繰り返すのは初めてのことでした。

白目をむき、口から泡を吹いてぐったりしている娘の姿を見るのは本当につらく、苦しく、何もで
きず申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。

原因究明のため、さらに大きな病院へ移すことになり、高松市にある日本赤十字病院の集中治療室に運ばれました。

その間も、けいれんを起こしては薬で眠らせるということを何度も繰り返しました。

病院の待合室では、たすけてもらいたい一心で、ひたすら十二下りを勤め、いままでの心づかいを反省しました。

それまで私は、お道はもっとこうあるべきだ、いまの自教会のスタイルは古いのではないかなど、不足の心づかいを多くしてきました。

しかし、この大節をお見せいただき、

「自分が間違っていた。自分自身がどう神様と向き合うか、どう信仰の喜びを培っていくのか、それだけでいい」

と心の底から感じ、親神様・教祖におわびしました。

その後、MRIや脳波測定などさまざまな検査の結果、脱水症状だと分かりました。

医師から

「脳に異常はなく、慢性的なてんかんでもない。しばらくしたら回復するでしょう」

と聞かされました。

けいれんを繰り返す様子から、脳に障害が残ることも覚悟し、

「命さえあればいい」

と思っていたので、検査結果は本当にありがたく、親神様・教祖にたすけていただいた感謝の気持ちから涙が溢れて止まりませんでした。

その後、娘は順調に回復し、1年経ったいま、何の問題も異常もなく元気に過ごしています。

この節を通して、娘を台に、私たち夫婦に気づきを与えてくださった親神様・教祖の親心を強く感じました。

以後、夫婦で心を定め、再出発の気持ちで通るなか、後に修養科を修了し日参してくださるようになった方との不思議な出会いや、考えられないほどもったいない拠点を貸してくださった方との出会いなど、教祖のお働きを強く感じるありがたい御守護をたくさん見せていただいています。

拠点を貸して下さっている夫婦と天浦青年会

この結構すぎるほどの楽しい日々は、親神様・教祖、また日々導いてくださる上級の会長さん、そして、どんな厳しい節の中も教祖を信じておたすけを続けてきた両親のおかげです。

あの節のとき、

「どんななかでもこの道を喜んで通りきる」

と心に決めました。

この決意を胸に、生涯にをいがけ・おたすけに歩き、信仰が子供たちや身近な人に伝わっていく、そんな未来を楽しみに、この道を歩ませていただきます。

八生兵庫の青年たちとともに

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