第一節
あしきをはらうてたすけたまへ てんりわうのみこと
一切のほこりを心から払い、さまざまな病気や災厄を一掃してどうかおたすけくださいませ。親神天理王命様。てんりおうのみこととは、天理王命は万物を創造し、守護し給う元の親神様、真実の親神様である。
第二節
ちよとはなしかみのいふこときいてくれ
あしきのことはいはんでな
このよのぢいとてんとをかたどりて
ふうふをこしらへきたるでな
これハこのよのはじめだし
これから親神の本心をはっきりと簡明に話をするから、親神の言うことをしっかり聞いてもらいたい。
親神は決してよこしまなことは言わない。
親神はたすけ一条の親心から人間をたすけ、この世を明るくする神一条の話をする。
親神は天地の理をかたどって夫婦をこしらえた。
一夫一婦の理は、実に月日親神の理を受け、天地の理に習う重い理であって、夫婦和合の理にこそ、陽気ぐらしの世界は生まれてくる。
第三節
あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい
世界中の人間の心から一切のほこりを掃除して、一日も早く世界一れつをたすけたいと親神は急き込んでいる。
世界中の人の心を澄まし、陽気くらしの世界実現して、人類創造の親里たるぢばにかんろだいを建設することこそ、親神の切なる念願である。
第四節 よろづよ八首
よろづよのせかい一れつみはらせど むねのわかりたものはない
元初まり以来今日までの世界中の人々の心を眺め渡しても、誰一人として心が澄みきって、をやの思いの分かった者はいない。
そのはずやといてきかしたこといない しらぬがむりでハないわいな
それももっともである。
今までは親神が何も親心の真実を教え諭したことがないから、何も知らぬのも無理はない。
このたびはかみがおもてへあらいれて なにかいさいをときゝかす
この度は旬刻限の到来により、元の親神がじきじきにこの世に現われて、何もかもすべての真実を事細かく説き聞かせる。
このところやまとのぢばのかみがたと いうていれどももと
ここは、大和のぢばである、神がたであると言うているが、誰もその元々の由来を知らない。
かみがた・・・上方、神方、神館で、親神様のお鎮まりくださる所の意。
このもとをくはしくきいたらならバ、いかなものでもこいしなる
ここは、大和のぢばである、神がたであると言うているが、誰もその元々の由来を知らない。
かみがた・・・上方、神方、神館で、親神様のお鎮まりくださる所の意。
このもとをくはしくきいたらならバ、いかなものでもこいしなる
この元々の由来をくわしく聞いたならば、どのような者でも皆慕って来ずにはおれなくなる。
きゝたくバたづねくるならいうてきかす よろづいさいのもとなるを
この訳を聞きたいと思うならば、尋ねて来るように。自発的で積極的な求道心があるならば親神の真実を言い聞かそう。
この所ぢばは、この世にありとあらゆるものの親里であるということを。
かみがで、なにかいさいをとくならバ せかい一れついさむなり
親神が表へ現われて、何もかもすべての真実を詳らかに説き聞かせたならば、世界一列の人間は皆、この世が親神の守護する陽気ぐらしの世界であることを知って、勇み立ってくる。
一れつにはやくたすけをいそぐから せかいのこゝろもいさめかけ
親神は、一刻も早く世界の人間を皆救けたいと思っているから、たずけ一条の上から世界中の人々の心を皆一斉に勇めてかかる。
ようし、ようし
善、善い心、善行、善言、肯定、よい人を勇める、よい行いは人生を明るくする。
その根本はよい心である。
よい心とは真実の心、ここにこそ親神様のよいご守護をいただく理がある。
陽気ぐらしは、すべて善である。
「あしき」の正反対。
第五節
一ッ 正月こゑのさづけは やれめづらしい
万物のはじまるめでたい正月に肥のさづけを撒く。
有難いことである。
なんと親神様のご守護の結構なことか。
こゑのさづけ・・・肥のさづけ。おさづけを戴いた者が、糠三合、灰三合、土三合を神前に供え、このさづけを取り次いで各自の田畑に置かしていただくと、肥一駄に相当するご守護をくださる。元治元年お渡しくだされた。「おふでさき」に、
こへやとてなにがきくといをもうなよ 心のまことしんぢつがきく (四 51)
と、お教えくだされている。
二二 につこりさづけもろたら やれたのもしや
さづけをもらった嬉しさに、にっこり微笑する。まことに嬉しいことである。
三二 さんざんざいこころをさだめ
この喜び勇んだ三才の童児の心を永久に変わらぬ己が心と定めつけよ。
四ッ よのなか
人が勇めば、神も勇み、五般は豊穰、したがって商売は繁盛となる。
上のなが 大和の方言で、豊年論作を言う。
五ッ りをふく
喜び勇んだ真心は、親神の摂理によって、自由自在の守護と現われてくる。
り・・・ 理である。親神様のご供理によって、ご利益が見えてくる。
六ッ むしやうにでけまわす
無制限に、何もかもあらゆるものが豊富に出来てくる。
注:満ああふれる水産の増進 きわまりなきたすけ一条の道の栄えを お歌いくだされているお歌である。
七ッ なにかにつくりとるなら
何もかもすべてのものな 分け隔てなく 作らせていただくならば、
注 :犬の恵みさんで あらゆる作物を好き好悪なく耕作し生産するならば、人に対してもまた同じ、
八ッ やまといほうねんや
大和は豊年満作となる。
九ッ ここまでついてこい
一度、豊年に恵まれたならば、神恩に感謝し、なおさら一層精進し親神を慕うてしっかり信心の道に進んで来い。
十ド とりめがさだまりた
とうとう収穫量が一定した。
注 毎年、豊年満作をお与えくださるを言う。世界中一列に毎年豊作を授けたい、というのが神意の真実である。単に農作に限らず人生万事皆然り。親子孫代々もまた同じ。取目。後嗣。「おふでさき」に、次のごとくお誌しくだされている。
またたすけりうけ一れつどこまでも いつもほふさくをしゑたいから (十二 96)
とんとんとんと正月をどりはじめハ やれおもしろい
足拍子賑やかに、めでたい正月から踊りはじめをするのは、まこととに面白くて陽気なものである。
注:この度たずけ一条の教えをはじめ、よふぎづとかによって陽気ぐらしの世界おはじめくだされる。一年中正月の気持ちで暮らすこそ、陽気世界ある。
ニッ ふしぎなふしんかゝれバ やれにぎはしや
不思議な普請にとりかかれば、まことに賑やかなことになる。
ふしん・・・普請、世界のふしん、心のふしん、つとめ場所の普請、教会建築。
三ッ みにつく
栄養が身について健康となり、徳が身について繁栄となる。
四ッ よなほり
世界中の人々が、わが身思案を捨てて、互い立て合いたすけ合いの心と入れ替わる時、陰に沈んでいた世界は陽気ぐらしの世界へと立て替わる。
注:世界中の人々の心が悪から善に入れ替わり、陰から陽に入れ替わったならば、親神様の摂理のまにまに不景気険悪の世相は一変して、好景気繁盛の世の中となる。
五ッ いづれつきくるならば
一れつ人間がみな、親神を慕ってついてくるならば、
六ッ むほんのねえをきらふ
一切の闘争・内乱・戦争を根絶しよう。
七ッ なんじふをすくひあぐれば
生活に困窮する者を人々が互い立て合いたすけあって救いあげるならば、
八ッ やまひのねをきらふ
親神も自由自在にたすけ一条の守護を現わして、一切の疾病を根絶しよう。
九ッ こゝろをさだめゐやうなら
真実誠の心を定めて、動揺しないならば、
十デ ところのをさまりや
国々所々は円満に治まり、ひいては世界の平和となる。
ところ・・・所、土地所々。
をさまり・・・治、平和、理想の平和、世界の平和、かんろだい建設の陽気ぐらしの世界。よふきづとめは世界平和達成の祈りである。「おふでさき」に、次のごとくお誌しくだされている。
はやはやと心そろをてしいかりと つとめするならせかいをさまる (十四 92)
一ッ ひのもとしよやしきの つとめのばしよいよのもとや
日の本、庄屋敷のつとめ場所は、この世・人間創造の所、すなわち宇宙万物の生命の根元である。
ひのもと・・・日の本。
しよやしき・・・ 庄屋敷。
二ッ ふしぎなつとめばしよハ たれにたのみはかけねども
この世・人間創造の理によって、一列たすけのよふきづとめをするよろづたすけの源泉たるつとめ場所は、誰にも依頼はかけないけれど、
三ッ みなせかいがよりあうて でけたちきたるがこれふしぎ
皆、世界一列の人間が寄り集まって、自ずから出来上がってくるのが、誠に不思議である。
四ッ ようようここまでついてきた じつのたすけはこれからや
ようやくここまで信心の道についてきた。これからいよいよ真実のたすけをする。
じつのたすけ・・・祈祷や医薬による一時的、形而下的なおたすけではなく、人間の心からほこりを払って、一切の禍害から根本的に永久におたすけくださること。陽気ぐらしの実現。
五ッ いつもわらわれそしられて めずらしたすけをするほどに
わが身を忘れて、たすけ一条の道に進む者を世間の人々は笑い嘲るけれども、このたすけ一条の道によってこそ、真実の人間を創造し、陽気ぐらしの世界をはじめるのである。
めずらしたすけ・・・この世・人間元の神、・実の神、天理王命様が、この度初めてこの世に現れて、今まで誰も見たことも聞いたこともない珍しいたすけをしてくださる。よふきづとめこそ、たすけ一条の根本の道である。
六ッ むりねがひはしてくれな ひとすぢごころになりてこい
欲や高慢を捨てずに、親神の不思議なたすけを望むのではない。一切のほこりを払い去って、ただひとすじに親神に向かって進んで来い。
七ッ なんでもこれからひとすぢに かみにもたれてゆきまする
なんでもかでも今後は一切の欲心を払い去って、ただ一筋に親神様にもたれてついていきます。
注:信心修業の要決をお歌いくださっている。このことは「おふでさき」に、次のごとくお示しくだされている。
ちかみちもよくもこふまんないよふに ただ一すぢのほんみちにでよ (五 30)
八ッ やむほどつらいことはない わしもこれからひのきしん
病気は人生最大の苦痛である。病気の真因が欲と怠惰であると悟る時、自分もこれから欲を捨てて勇んでひのきしんに励ましていただこう。
やむ・・・この世に病気というものはない、病と見えるのはお手引きである。疾病は神恩に報謝せず、欲心に走って恩に恩を重ねることに起こってくる。
ひのきしん・・・欲を忘れて日々に報恩感謝の真実を親神様に捧げさせていただくこと。これこそ神恩に報じ、自由自在の御守護をいただく道である。
九ッ ここまでしんじんしたけれど もとのかみとはしらなんだ
ここまで信仰してついてはきたが、この神様が元始まりに、この世・人間をご創造くださった元の神様とは知らなかった。
もとのかみ・・・元の神、元こしらえた神、世界万物の生命の根源たる親神、一れつ人間の真実の親神、天理王命様。
このよふのにんげんはじめもとの神 たれもしりたるものはあるまい (三 15)
十ド このたびあらはれた じつのかみにはさうるない
とうとうこの度、表に現われた。この世の複元たる真実の親神様に相違ない。
じつのかみ・・・実の神、真実の神、一切万物の実体にして諸神仏の本元に生し、現実に、この世界をご守違くだされている天理王命様。
しんぢつの神がをもていでるからハ いかなもよふもするとをもゑよ (三 85)
一ッ ひとがなにごといほうとも かみがみているきをしずめ
人が何とそしろうとも、観神が何もから見抜き見通しているから、親神の自由自在の守護に信頼して、心を静かに持て。
二ッ ふたりのこゝろををさめいよ なにかのことをもあらはれる
夫婦の心を一つに結んで、誠真実に治めて通れよ。一切万事、喜ばしい親神の守護が現われてくる。
三ッ みなみてゐよそばなもの かみのすることなすことを
皆、そばにいる者は、親神のすることなすことを、よく見ているがよい。親神の自由自在の働きを現わすから。
四ッ よるひるどんちやんつとめする そばもやかましうたてかろ
夜も昼も太鼓やかねの鳴物を入れてつとめをする。何も知らない者は、やかましくうるさく思うことであろう。
五ッ いつもたすけがせくからに はやくやうきになりて
いつも親神は一列たすけを急き込んでいるから、一列人間は早く陽気な心になってこい。
注:勇むことこそ、不思議なたすけをいただく第一歩である。
六ッ むらかたはやくにたすけたい なれどこころがわからいで
村方はなおも早く救けたいと思っているが、あまり近くにいるので、つい人間思案が先になって、神一条の教えを理解できずにいる。
むらかた・・・当時の庄屋敷村の人々を仰せられた。
七ッ なにかよろづのたすけあい むねのうちよりしあんせよ
人間は皆、兄弟姉妹(きょうだい)であるから、一切万事互いに立て合い扶け合っていくのが親神の望みである。皆一列の人間はめいめい心の底から、よくこのことを考えよ。
よろづのたすけあい・・・よろづ互いに扶け合うことが、親神様の人間に望み給う切なる念願であり、人間社会成立の真実である。このことは「おふでさき」に、
せかいぢうたがいにたすけするならば 月日も心みなひきうける (十三 38)
と仰せられているとおり、よろづ互いに抜け合うこそ、ふしぎななたすけの前提であり、人間生活の根本原理である。
ハッ やまひのすつきりねはぬける こゝろいだんくいさみくる
欲を忘れてよろづ互いに扶け合うならば、親神の守護によって病の根元は一掃され、身体は健康となり心は勇み立って、心身共に陽気づくめとなる。
九ッ こゝはこのよのごくらくや わしもはやくまゐりたい
このように心身共に陽気に勇む時、この世はそのままあらゆる幸福と歓喜のごとくそなわった極楽の世界となる。この結構なたすけの根元であるぢばへ私も早くお詣りしたい。
十ド このたびむねのうち すみきりましたがありがたい
とうとうこの度、胸の掃除が出来上がって、一点の濁りもない澄みきった心になりました。こんな嬉しいことはない。
一ッ ひろいせかいのうちなれバ たすけるところがまゝあらう
広い世界の中には、人だすけをする所も、あちこちに数多くあることであろう。
二ッ ふしぎなたすけハこのところ おびやはうそのゆるしだす
しかし親神じきじきの不思議なたすけは、人間創造の元の親里であるこのぢばのよってのみ現わすのであって、その道あけとして、産屋疱瘡の許しを出す。
おびやゆるし・・・妊娠六カ月以上になったならば、おぢばへ願い出ると、元の親里の理によって安産をお許しくだされる。このお許しを戴いた者は、誰でも皆安産させていただけるのである。
はうそのゆるし・・・このお許しを戴いた者は決して疱瘡にかからない。今は証拠まもり、すなわちご神符のうち小人のおまもり、すなわち十四歳以下の者の戴くおまもりにこの理はおつけくだされている。
三ッ みづとかみとはおなじこと こゝろのよごれをあらひきる
水と神とは同じ理である。水が万物の汚れを洗い浄めるように、親神は人の心の汚れを洗い浄める。
四ッ よくのないものなけれども かみのまへにハよくはない
人間は誰しも欲のない者はないが、神前に祈る時、一切の欲は消え去って、心はおのずから澄みきってくる。
五ッ いつまでしんぐしたとても やうきづくめである
いつまで信心しても、この道は未来水劫に変わらぬ陽気づくめの道である。
六ッ むごいこゝろをうちわすれ やさしきこゝろになりてこい
他人はどうなってもよいという残忍な心を忘れ去って、互いたてあいたすけあいの優しい心になってきてもらいたい。
七ッ なんでもなんぎハさ・ぬぞへ たすけいちじよのこのところ
親神を慕うて来るならば、決して難儀不自由はさせない。ぢばは親神の現われている所、一刻人間によろづたすけを現わす世界だすけの本元である。
ハッ やまとばかりやないほどに くにくまでへもたすけゆく
大和ばかりではないほどに、広く世界中どこどこまでも救けて回る。
九ッ こゝはこのよのもとのぢば めづらしところがあらはれた
ここは、この世・人間を創造した元のぢばである。まことに珍しい所が、この度、表へ現われた。
どうでもしんぐするならバ かうをむすぼやないかいな
どうでもこうでも熱心に信心するからには、講を結んで互いに手をつなぎ合い扶けあって、賑やかに信心させて頂こうではないか。
かう・・・講。親神様にたすけられ、親神様を慕うて道の兄弟姉妹が相寄り集まる一手一つの集い。これぞ地上における陽気ぐらしの実現であり、陽気世界の雛形である。本教には数おおく教会があるが、ことごとくぢばの理を中心として結ばれている。一手一つこそ本教の生命である。
一ッ ひとのこゝろといふものハ うたがひぶかいものなるぞ
人間の心というものは、疑惑と猜疑に覆われて、ありありとお見せいただく親神の姿も見ようとはせぬものであること。
二ッ ふしぎなたすけをするからに いかなることをもみさだめる
不思議なたすけを現すからには、善悪ともに一切万事を見定める。
三ッ みなせかいのむねのうち かゞみのごとくにうつるなり
世界一れつの人間の心遣いは、鏡に映すがごとく、親神の心に映るのである。
四ッ ようこそつとめについてきた これがたすけのもとだてや
世界の嘲笑迫害に屈せず、ようこそよふきづとめについてきた。このよふきづとめこそ、たすけ一条の根本の道である。
五ッ いつもかぐらやてをどりや すゑではめづらしたすけする
いつもかぐらやてをどりをして、親神のこの世・人間創造を現して、広い世界の隅々までもよろづたすけを行き渡らせて、やがては陽気ぐらしの理想の世界を実現する。
六ッ むしやうやたらにねがひでる うけとるすぢもせんすぢや
むやみやたらに願い出るが、願い出る人の心に千差万別のあるように、親神の守護もまた千差万様である。
七ッ なんぼしん/\゛したとても こゝろえちがひはならんぞへ
どれほど信心しても、根本の心がけを間違えて、欲や高慢を道連れにしてはならない。
八ッ やつぱりしん/\゛せにやならん こゝろえちがひはでなほしや
と言って、やはり現実にこの世をご支配下されている親神を信心しないというわけにはいかないので、誤った心がけで信心してきた者は、もう一度振り出しに戻って、元一日の心になって、第一歩から正しい信仰の道に進んで来てもらいたい。
九ッ こゝまでしん/\゛してからハ ひとつのかうをもみにやならぬ
ここまで信心を続けてきたからには、自分だけがたすかったら良いのではなく、さらに広く世の中の人々をたすけさせていただき、一つの講を結成させていただかねばならない。
かう・・・功、講。
十ド このたびみえました あふぎのうかゞひこれふしぎ
たすけ一条の上から授けられた扇の伺いによって、おたすけの数々をお見せいただき、とうとうこの度、講をお見せいただくことになった。おさづけの理は誠に鮮やかである。
あふぎのうかゞひ・・・扇の伺い。この伺いをさづけられた者が扇を持って、神前に伺いを立てると、扇に現れる理によって、神意を悟ることができた。元治元年、当時、教祖から熱心な新人の者に、たすけ一条のために、この伺いをお許しくだされた。
ここから後半
一ッ ひとことはなしハひのきしん にほひばかりをかけておく
一言、親神様のお話を取り次がせていただくのはびのきしんである。こうしてまず匂いがけをしておく。
ひとことはなし・・・ちょっと一言話をすること。
ひのきしん・・・親神様に感謝の真心を捧げさせていただく働き。
二ッ ふかいこゝろがあるなれバ たれもとめるでないほどに
たすけ一条の深い心から言うことであるから、誰もこれを妨げてはならぬ。
三ッ みなせかいのこゝろにハ でんぢのいらぬものハない
世界一列誰しも、田地のほしくないものはないだろう。
四ッ よきぢがあらバ一れつに たれもほしいであらうがな
よい田地があったならば、一列誰でも皆ほしいだろう。
五ッ いづれのかたもおなしこと わしもあのぢをもとめたい
どこの誰も皆同じ、よい田地があったならば、誰でも皆、私もあの土地を求めたいと思う。
六ッ むりにどうせといはんでな そこはめいくのむねしだい
無理にどうせよとは言わない。よい田地を求めようとすれば、高価であるように、無形のよい田地を求めるには、その田地に応じた誠真実の働きが必要である。誠真実の価を出さぬ者にはよい田地は授かない。そこをよく思案せよ。
七ッ なんでもでんぢがほしいから あたへハなにほどいるとても
どうでもこうでも立派な田地がほしいから、価は何ほど高くとも、喜んで力いっぱい出させていただきたい。
ハッ やしきハかみのでんぢやで まいたるたねハみなはへる
この屋敷は、神の田地である、ここにまいた種は皆生えてきて、各人生涯末代の徳となる。
やしき・・・元初まりの屋敷、すなわちぢばのある所は、親神様が人間をおはじめくだされた所、親神様のお鎮まりくださる所である。よってぢばに尽くす運ぶひのきしんの理は、一粒万倍となって珍しいたすけをお現わしくだされ、末代の徳をお授けくだされる。
九ッ こゝハこのよのでんぢなら わしもしつかりたねをまこ
ぢばがよろづのご守護の芽生えてくる、この世の田地と聞かせていだくからには、私もしっかり誠真実の種をまかせていただこう。
十ド このたびいちれつに ようこそたねをまきにきた
たねをまいたるそのかたハ こえをおかずにつくりとり
とうとうこの度、世界一列の人間が、この理に目覚めて、ようこそ誠真実の種をへまきに来た。誠真実の種をまいた者は、金肥、人肥の目に見える肥料を置かずとも、天の理によって、親神の守護は次から次から現われてきて、天の与えを授けられる。
たね・・・尽くす、運ぶ、救ける、誠真実の心、ひのきしんの働きを種におたとえくだされている。
こえ・・・肥、緑肥、緑肥、推肥など、これらの肥は、目に見える稲や麦の根にこそ必要であるが、無形の種には金肥も人肥も必要はない。
一ッ ひろいせかいやくになかに いしもたちきもないかいな
広い世界や数多い国々の中に、石も立木もないかいな、と親神はよふぼくを求めている。
いし、たちき・・・石、立木で、世界の心のふしんに必要な人材を、建築用材におたとえになっている。神の用木、用石の意。親神様は、よふぼくを求めて広い世界中をお捜しになっている。
二ッ ふしぎなふしんをするなれど たれにたのみハかけん
不思議な普請をするのであるが、誰に頼みをかけるということはしない。
三ッ みなだんだんとせかいから よりきたことならでけてくる
皆、だんだんと世界中から、神のよふぼくが寄り集まって来たならば、自然とたすけ一条の世界のふしんは出来上がってくる。
注:普請とは心のふしん、世界のふしんであって、たすけ一条の神業の達成を普請とお歌いくださっている。心のふしんが出来てくるところに、教会建築はおのずから出来上がってくる。
四ッ よくのこゝろをうちわすれ とくとこゝろをさだめかけ
欲の心を一切忘れ去って、しっかりと誠真実の心を定めかけよ。
よく・・・欲こそは八つのほこりの根本である。
こゝろをさだめ・・・心を定め、八つのほこりを去って、互い立て合い扶け合いの誠真実の心を定めること。
五ッ いつまでみあわせゐたるとも うちからするのやないほどに
いつまで、ちゅうちょして控えていても、これは内からするのではない。全く親神の神意のままに世界一列の力が寄り集まって出来てくるのである。
うち・・・内。家族、親族、教内。現在内らにいる者だけの力によって行うものではない。本教の普請は、大きい神意に基づき、広い世界の力を結集して出来てくるものであることを仰せくだされている。
六ッ むしやうやたらにせきこむな むねのうちよりしあんせよ
と言ってまた、むやみやたらに急ぐばかりでもならぬ。心のふしんであることをえて、各人皆とくと、めいめいの心の底から思案して、まず各自の心を澄みきらす工夫をしなさい。
七ッ なにかこゝろがすんだなら はやくふしんにとりかゝれ
何か心が澄んだならば、すみやかに普請に着手せよ。
はやく・・・各人が己の心を澄ます時、ここに皆の心は一手一つに結ばれてくる。これぞ心のふしんであって、この時こそ普請着手の旬である。
八ッ やまのなかへといりこんで いしもたちきもみておいた
山の中へと入り込んで、石も立木も見ておいた。
やま・・・山。草木生い繁り、未だ開墾されざる所、道のついていない所、本教の未だ布教されておらぬ所。未信者の中。
たちき・・・山の中には木も石も数多くあるごとく、広い世界には神の用石がたくさんある。親神様は、世界中至らぬ隈なくお回りになって、用木・用石をお見定めになっている。
九ッ このききらうかあのいしと おもへどかみのむねしだい
この木を切って神の用材にしようか、あの石を採取して用石にしようかと思うが、
万事はすべて神意のままである。
十ド このたびいちれつに すみきりましたがむねのうち
とうとうこの度、世界中の人々が一列に澄みきってきたのは、まことに喜ばしい極みである。
注:世界一列の心の澄みきることこそ、親神様のお喜びである。
一ッ ひろいせかいをうちまわり 一せん二せんでたすけゆく
広い世界を陽気に手を打って回って、一洗二洗で人々の心を洗い清めてたすけてまわる。
二ッ ふじゆうなきやうにしてやらう かみのこゝろにもたれつけ
親神は決して難儀不自由はさせない。安心して親心にもたれてついてこい。
三ッ みれバせかいのこゝろにハ よくがまじりてあるほどに
見渡すと、世界中の人々の心には、欲が混じって濁っている。
四ッ よくがあるならやめてくれ かみのうけとりでけんから
欲があるならやめてくれ。親神は濁った欲の心を受け取ることはできないから。
五ツ いづれのかたもおなじこと しあんさだめてついてこい
どこの誰も皆同様に、可愛い子供に分け隔てはしないが、天理は公平であるからここをよく考えて、誠一つの心を定めて信仰の道についてこい。
六ッ むりにでやうといふでない こゝろさだめのつくまでハ
無理び出ようというのではない。心定めのつくまでは、とくと思案して、真実の心が定まったならば、早く信仰の道に出なさい。
七ッ なか/\このたびいちれつに しつかりしあんをせにやならん
今こそ重大な時旬であるから、この度一れつによく考えてしっかりと反省して、誠真実の心を定め、旬に遅れないように信仰の道に進め。
八ッ やまのなかでもあちこちと てんりわうのつとめする
山の中においても、あちらこちらとなむ天理王命と神名を唱えてつとめをしている。
九ッ こゝでつとめをしてゐれど むねのわかりたものハない
ここでつとめをしていても、真から胸の分かったものはいない。
とてもかみなをよびだせば はやくこもとへたづねでよ
同じ神名を呼び出すなら、速やかに元の親里であるぢばへ親を訪ねて帰ってこい。
一ッ ひとのこゝろといふものハ ちよとにわからんものなるぞ
人の心というものは、なかなか分かり難いものである。
二ッ ふしぎなたすけをしてゐれど あらはれでるのがいまはじめ
不思議なたすけをしているが、親神自ら直々に表へ現れるのは、今が初めてである。
三ッ みづのなかなるこのどろう はやくいだしてもらひたい
水の中に混じっているこの泥を早く除き去ってもらいたい。
四ッ よくにきりないどろみづや こゝろすみきれごくらくや
欲に際限がない泥水と同じである。心が澄み切ったならば、この世はそのままに極楽とも言うべき陽気づくめの理想世界となる。
五ツ いつ/\までもこのことハ はなしのたねになるほどに
心を澄まして全ての人がたすかるこの道は、末代までも語り伝えて人だすけの話の種になる程に。
六ッ むごいことばをだしたるも はやくたすけをいそぐから
手厳しい話をするのも、一刻も早くたすけたいとの親心からである。
七ッ なんぎするのもこゝろから わがみうらみであるほどに
身上事情で難儀するのも、皆銘々の心がけ一つから起こってくることであるから、自分の思い違いを恨んでしっかり反省しなさい。
八ッ やまひはつらいものなれど もとをしりたるものハない
病気はつらいものであるけれど、この辛い病気の根本が何であるかということをはっきり知った者はいない。
九ッ このたびまでハいちれつに やまひのもとハしれなんだ
この度までは、誰も皆、病気の本当の原因を知らずに来た。
十ド このたびあらはれた やまひのもとハこゝろから
とうとうこの度現れて出た。病気の本当の原因は心にある。
一ッ ひのもとしよやしきの かみのやかたのぢばさだめ
日の本、庄屋敷の、神の館のちば定めが行われる。
二ッ ふうふそろうてひのきしん これがだいゝちものだねや
夫婦揃ってひのきしんをする。これが何より第一の物種である。
三ッ みれバせかいがだん/\と もつこになうてひのきしん
見渡すと世界中の子供が、だんだんと勇んで出てきてもっこを担ってひのきしんをする。
四ッ よくをわすれてひのきしん これがだいゝちこえとなる
欲を忘れてひのきしんに進む。これが何より第一に各人の徳を育てる肥となる。
五ツ いつ/\までもつちもちや まだあるならバわしもゆこ
いついつまでも続く土持である。まだあるならば私も行かせて頂こう。
六ッ むりにとめるやないほどに こゝろあるならたれなりと
当人の心に反して無理にとめ立てするのではない。土持をさせて頂こうという自ら進んだ発心があるならば、誰彼の区別はない。誰でもよい。皆ひのきしんに勇み出よ。
七ッ なにかめづらしつちもちや これがきしんとなるならバ
今までに見たことも聞いたこともない珍しい土持である。これが親神様への寄進となるならば、こんな結構なことはない。皆勇んで働かせて頂こう。
八ッ やしきのつちをほりとりて ところかへるばかりやで
屋敷の土を掘り取って、あちらからこちらへ、こちらから運ぶだけのことである。
九ッ このたびまではいちれつに むねがわからんざんねんな
この度までは、人間は誰も皆心が澄み切らず、親神の思いが分からなかったのは、誠に残念であった。
十ド ことしハこえおかず じふぶんものをつくりとり
やれたのもしやありがたや
とうとう今年は、親神の教えをよく悟って、真実の理を了解し、目に見える肥料
のみに頼らずして、心の誠真実を親神様に捧げ、このひのきしんの真心をお受け
取り頂いた理によって、十分に豊年満作の御守護を頂くことができた。こんな楽
しい嬉しいことはない。
一ッ いちにだいくのうかゞひに なにかのこともまかせおく
まず第一に大工の伺いに、委細のことは任せておく。
二ッ ふしぎなふしんをするならバ うかゞひたてゝていひつけよ
不思議な普請をするならば、伺いを立て一々神意を伺って、工事実施をいいつけるようにせよ。
三ッ みなせかいからだん/\と きたるだいくににほいかけ
皆世界からだんだんと集まってくる大工に、たすけ一条の道をにをいがけせよ。
四ッ よきとうりやうかあるならバ はやくこもとへよせておけ
よい棟梁があるならば、早く本元であるぢばへよせておけ。
五ツ いづれとうりやうよにんいる はやくうかゞいたてゝみよ
ゆくゆくは棟梁も一人ではなく四人必要である。
六ッ むりにこいとハいはんでな いづれだん/\つきくるで
無理に来いとは言わぬ。次第次第にこの道についてくる。
七ッ なにかめづらしこのふしん しかけたことならきりハない
今までに誰も知らぬ、この珍しいたすけ一条の世界の普請は、はじめたからには際限がない。
八ッ やまのなかへとゆくならバ あらきとうりやうつれてゆけ
山の中へと行くならば、あらき棟梁を連れて行け。
九ッ これハこざいくとうりやうや たてまへとうりやうこれかんな
これは小細工棟梁である。次は建前棟梁。その次はかんなの専門と、それぞれの役目に当たる者が続々と集まってきた。
十ド このたびいちれつに だいくのにんもそろひきた
とうとうこの度、大工の人々も揃ってきた。さあこれから世界の普請に取りかかる。