つなぐ心
お昼からMさん宅に行くつもりなので、それまで、わりと近めを回ろうと思って出発した。
6000枚あったチラシも、残すところ100枚をきった。
ここまできたらチラシを配り終える達成感と同時に寂しさも少し感じている。
もう闇雲に配ることはできないため、初期のやり方で戸別で許可を得たお宅にのみ配ることにした。
今日は10件くらいのお宅に配ることができたが、戸別でなく声かけで嬉しい出会いがあった。
戸別中、おばさんとお孫さんで散歩されている方と出会ったため声をかけると、少し躊躇されたがチラシを見て、
「おぢばがえりだ、懐かしい!小学生の時に行ってた。めちゃくちゃ楽しかった!」
と反応を変えて喜んで下さった。
もう数十年も前の話だが、遊んだアトラクションの記憶を鮮明に覚えておられた。
その頃は、海援隊がおぢばに来られたのか?
そのおばさんが言っておられた。
その方はとても良い記憶として残っているそうだが、問題はお誘いできるのがお孫さんということ。
おばさんのお子さんが参加されていないと一気に難しくなったが、期待せずに願いたいものです。
KOGのお誘いを始めてから今日まで、過去に参加されたことのある方と出会うことが予想以上に多い。
と言っても未だにお電話を頂けないため、難しい現実を味わっている道中だ。
けれど、このお誘いがなければ違う訪問の仕方になるので、ある意味有難い機会と経験をしていると感じれたので良かった。
午後まで戸別をつとめ、Mさん宅に向かった。
Mさんは元気だったが、案の定心が落ち込んでる様子だった。
寂しさとお道の得心の浅さから、感じ始めた不安を告げられたので要約する。
- 信仰した先にどうなっていくのか
- 私には期間があるため、それを終えるとMさんとの関係が薄くなってしまうのではないか
- 天理教は身上だすけが目立ち過ぎて、心たすけや若い人のおたすけが出来ないのではないか
- 夜になると寂しさで虚しい心になってしまう
- 規律が守れないため、この状態で信仰していくのが難しい
など、心のわだかまりを聞かせていただいた。
お手紙を読んだ時から、寂しさで虚しくなったと勘づいたけれど、真面目にお道に向き合い過ぎて心が落ちきっていることが分かった。
私の癖・性分としてもネガティブなことを思い詰めてしまうことがあると会長様に言われたことがあるが、Mさんを通してまさに見せて頂いたことだと実感した。
そのため、あまり下手なことは言わないよう、聞かせていただくことに徹し、それを通して自らを省みることから始めようと思った。
そして、Mさんに少しでも明るい心になって頂けるよう、これまでよりも運ばせていただき、和らいでもらえるように努めたいと感じた。
今回は、お手紙を頂いて即座に訪れてお話しできたため、Mさんも喜んで下さったし落ち着いておられたのでよかった。
全くないおたすけ心だが、少しずつ養えるように歩いていきたいと思います。