修理肥 とは?
教祖ご在世当時、信仰者の多くは農家の人々でした。
農家の方々にも深い神の理を諭すため、身近な「百姓用語」に例えて多くのお話を下さいました。
「修理肥」という教語もその一つです。
種を蒔いたら蒔きっぱなしにせず、必ず「修理」や「肥」をやる必要があります。
同じように、人の心の成人も、常に「修理・肥」を施さなければならないということをお教え下さいました。
原典おさしづに
まきながし/\あちらにしよんぼり、こちらにしよんぼり、まきながしはどうもならん、まいたもの修理する、あちら一人そだて、こちら一人そだて・・・・・・
明治20年10月10日のおさしづ
とあります。
布教をして教理を取り次がせて頂き、たすけさせて頂いても、一時きりの種を蒔きっぱなしにしては、何にもならない。
常に「修理し、肥をやる」、すなわち「育てていく、丹精する」ということを強調されています。
そして、おさしづには育てられる側の者に対しても、
うるさい/\なあとおもてはどうもならん
明治29年10月10日のおさしづ
とお愉下さっております。