天理教八生兵庫分教会 よろこび月報 立教188年11月号

ご挨拶

充実感をもって、年祭の日を迎えよう!

日々それぞれの持ち場立場において、八生兵庫分教会の上に絶大なるお力添えを賜り、誠にありがとうございます。

去る10月26日、国の内外から帰参した多くの教友が礼拝場を埋め尽くす中、立教188年御本部秋季大祭が中山大亮様を祭主に厳かにかつ陽気に執り行われました。

大亮様は祭文の中で、「教祖百四十年祭を3か月後に控え、ひながたを心の頼りとして更に力強く歩ませて頂き、身上・事情の悩みを抱える人にはおつとめを勤め、おさづけを取り次いで治まりを願い、真にたすかる道へ歩み出せるよう、修理丹精を重ねて、親心にお応えできる成人の歩みを進めさせて頂く覚悟でございます」と奏上されました。

続いて、かぐら・てをどりが陽気に勤められた後、真柱様が神殿講話に立たれ、秋の大祭を勤める意義、即ち立教の元一日にこめられた世界一れつをたすけたいとの親神様の思召しから話を起こされ、続いてたすけ一条の道の根本であるおつとめについて述べられました。

更に秋の大祭と春の大祭は、世界一列の子供をたすけて陽気ぐらしへ導いてやりたいという親心が込められているという点においてその理は一つであるとの二代真柱様のお言葉に触れられ、更に、教祖の道具衆であるようぼくのつとめや教祖の年祭をつとめる意義についても言及され、最後に三年千日の年祭活動を力いっぱい務めたという充実感と喜びをもって年祭を迎えることができるよう最後まで務めることを切望されてお言葉を締めくくられました。

私達は、真柱様のお言葉を胸に刻み、そのお心に添えるよう年祭活動を力いっぱい通りきることをお誓いすると共に、24日天浦よふぼくおぢばがえり団参、更に来年1月仕切りに向かって懸命に務めさせて頂きましょう。

今月も何卒よろしくお願い致します。

にをいがけ・おたすけの成果

別  席  者4名

おやさま存命の理を信じて

立教188年10月26日 順子奥様 おぢばがえり団参バス車中のお話より

いんねんと闘う日々

先程、長く信仰して下さっている数名の奥様方の感話を聞かせて頂き、とても胸が熱くなりました。

振り返ってみますと、ご存命の教祖から皆さまとの尊いご縁を頂き、これまで深刻な事情身上、言うに言われん家族間の修羅場、裏切りや失望の中、その悪いんねんと共に向き合い、共に闘ってきた道中が昨日のように思い起こされてきます。

斯く言う私自身もそうであったように、スタートは信仰の何たるかも 分からず、姿や形のない親神様・教祖に凭れきることができずに、「主人がもっとこうやったら…あの姑がもっとこうやったら…」と自分以外の  ものに矢印を向けて、次から次に見せられるいんねん事情に四苦八苦して参りました。

分からん中の信仰実践

しかし私たちはこの教祖のみ教えを耳に聞かせて頂くだけでなく、事情の真っ只中を「一緒に布教に歩きましょう…」、また借金がある中を「世のため人のためにどうでもお尽くししましょう…」と導かれるままに、経済的にも大変な中を工面しながら信仰実践を積み重ねてきたことと 思います。

そんな中で気がつくと、薄紙を剥ぐ如く自分の心から恨み・つらみ・憎しみや腹立ちが一枚一枚剥がされ、これまで見えなかった自分というものが少しずつ明らかになってきました。

そして教祖の理を頂戴する中に「本当に申し訳なかった…相手が悪いんじゃない…私が原因であった」と、お詫びの心が湧く程に成人させて頂き、今日の有難く勿体ない日々を送らせて頂けるまでに心をたすけて頂いてきたと思います。

見えない心の執着

私たちは目に見えない心の執着によって、知らず知らずに我が身と我が心を縛ってしまいがちです。

かつて私もそうでした 。 

お商売の世界から人をたすける無限の世界へと飛び込んでいくことに、躊躇し、いんねんの渦の中で苦悩していました。

しかしその頃の私を捕まえて放さなかったのは、私自身の心にこびりついた執着であり、結局突き詰めていくと、親子関係、家族間の愛情、そして金銭、そこへの執着がずっと私自身を苦しめ続けていました。

ちょうど教祖百年祭の時に、思い切った尽くしを運ばせて頂く中に、私の心にあった執着の鎖を断ち切って貰い、天浦分教会に住み込ませて頂くことができました。

そして、理の親である木下寿美子のご丹精によって、少しずつでしたが、「一切は自分やな、自分のかしものかりものなんやな。」ということに気がつかせて頂きました。

お尽くしに護られて

これまでの私の40年の布教人生は、まさにお尽くしという金銭の御用、いんねんの自覚の上から命懸けで取り組ませて頂いた心定めとの闘いの日々であったように思います。

このまま自分の心に徳がなければ、またこのまま我が子に徳が積まれていなければ、本来持った悪いんねんのままの心遣いと運命を代々繰り返さなければならないと、常に易きに流れないよう自らお尽くしの桁を上げ、必死の覚悟で通らせて頂いた40年間でした。

その道中には馬鹿にされ、みじめな思いをすることも数々ございましたが、そこに残ったものは皆様方との素晴らしい出会い 、そして元一日  嘆き悲しんでいた方々がだんだんと笑顔になり、周囲で苦しんでる人を たすけようという心になって下さる姿。

教祖にお連れ通り頂く日々の有難さをしみじみと感じると共に、尽くしの御用を通して私自身が護って頂いていることを実感致します

種は正直

折角この素晴らしい道を通りながら、誤魔化しやおためごかしのようなつとめ方では、今生それなりに信仰したつもりでも来生でまた日陰の身になってしまいます。

どれだけ世の中の価値観が変わろうとも、AIが栄えようとも、絶対に変わらないものがあります。

それが教祖が教えて下さった厳然たる天の理です。

種は正直です。

誠の種を蒔けば、必ず結構な花を咲かせ実がなってまいります。

誠の心しか神様の受け取りはございません。

また誠の心ならば人の心を動かし得るのです。

そして誠を振り絞る中に、神様の働きを頂戴して、相手がたすかって頂けるのだと思わせて頂きます

残り三ケ月となった教祖百四十年祭の年祭活動におきましても、様々なふしをお見せ頂きましたが、ふしは次なる心の成人に向かうための教祖 からの親心でありますので、ふしを通して大きく質を変えて頂き、今日 までお育て頂いたことを改めて実感させて頂いております

より私の心を仕込むために、どんなふしが出てくるかわからないと覚悟をしておりますが、全ては“ピンチがチャンス”だと聞かせて頂き、おさしづに、

ずつない事はふし、ふしから芽を吹く、やれふしや/\、楽しみやと大き心持ってくれ。 (M 27.3.5)

とございます。

皆さま、来年1月の仕切りには、お互いに運命の桁を変えて頂けるよう心を定めて理作りに励ませて頂きましょう。

この三年千日最後の尽くしが種となって、次の十年が決まって参りますので、年祭当日に向かって誠一つを振り絞ってつとめさせて頂きましょう。

揺るぎない信仰信念

立教188年10月31日 西村一郎 会長様 朝席のおはなしより

大宇宙と直結

毎朝この朝席で申し上げておりますが、目が覚めると同時に天恩・大恩・五つの御恩を身に感じつつ、ここ最近ではおつとめを勤める時間が“やすらぎ”のひとときとして感じられる新たな境地に至っております。

それは大宇宙と繋がり、親神様・教祖と直結し一体となっている何とも言えない爽やかな感覚でおつとめを勤めさせて頂いております

そして日中は、にをいがけ・おたすけで走り回っておりますが、私にとってこのひとときが安らぎとして感じられます。

逆に世間の方が求めるような旅行や温泉巡り、料亭で美食をすることには全く興味が湧かなくなっています。

まさに教祖の道具衆として、よふぼくの使命を全うしている時間が、私にとって最も充実したものになっています。

施しの場面とその後の姿

皆さん、南右第二棟でやっているおやさまシアターは見られたことがありますか?

教祖が月日のやしろとなられて、親神様の思召しのまにまに中山家の家財を村人たちに施していくシーンがあります。

当時の村人らがお米や着物をはじめ、鎌や鍬などの農機具をもらおうとみな嬉々として中山家に長い列を為し、ひたすら教祖は施し続けられ、その内どの蔵もすっからかんになり、挙句の果てに(おと)(こし)(おな)(ごし)も去って誰も居なくなる。

最後はお母屋も取り(こぼ)ち、田地田畑にも手をつけて中山家のご家族が赤貧に落ちきられる。

そういう場面がアニメの中で描かれています。

その後、この教祖のひながたを慕って、同じように「屋敷も要らん…財産も何も要らん」と言うて貧のどん底に落ち切られた信者の方々は、一体どうなられたのでしょうか 。

まず貧に落ち切られた中山家が世界の親里となり、現在のおぢばの荘厳な姿になられたように、現在では部内50ヶ所以上ある大教会長、或いは本部員になって、そのご家族もみな結構なるご守護を頂いた姿をお見せ頂かれております。

裸になる尊さ

私も比較的裕福な家庭に育ち、車は新車乗り放題、冷蔵庫にはビールや肉がいっぱい入っている。

そんな何不自由ない暮らしから、一転して天浦分教会に住み込ませて頂き、無の中を歩かせて頂きました。

最初は10円のお金に困るような時期もありましたが、結構な家の暮らしを捨てて裸一貫から布教師の道を志し、立教の元一日の問答にあるように二十年三十年経った今、私もこうして数十名の住込み者を抱える一国一城の主として教会長とならせて頂き、なるほどと言う結構なご守護を頂いています

こう考えますと、裸になる尊さを身をもって実感し、ひながたを辿る 重要性を感じずにはいられません。

二つ一つの原理

その頃、あるの方に「お前は畳の上で死なれへんからな!まだ若いのに働きもせんとぶらぶらしやがって、学会に入って勉強せえ!」と言って罵られました。

まだ若輩な私は最初は腹を立てていましたが、木下寿美子先生のご指導によって、二つ一つの原理を身をもって治めさせて頂いてからは、どんなに罵倒されようとも、「なるほど、これで私の心のほこりをとってもらっておるんや…これが 万病に効く薬なんや!」と心を落とし頭を下げて、天浦分教会で約20年間にわたり地を這うような布教道中を過ごさせて頂きました。

無駄はない

にをいがけは、負けて負けて通りますから、世間の常識から見たら途轍(とてつ)もなくあほらしく馬鹿馬鹿しいことをやっているように見えますけれども、形の上で落とし切り、心を低く落とし切って通る中に、こんなにも結構な素晴らしい境地へと導いて頂けるのです

その時は要らんというてけんもほろろに断られますが、徹底して頭を下げ、こちらが 心を繋がせて頂けば、やがてどこかでまた繋がる日が来ます。

ですから目の前ですぐ結果が出なくても、私たちがさせて頂いてることに何一つ無駄なことなどございません。

年祭活動最後まで諦めずに、喜び勇んでつとめさせて頂きましょう。

成人寄心袋について

いよいよ教祖百四十年祭まで残りわずかの期間となり、それぞれの三年千日におけるおたすけと成人に拍車がかかる今、年祭当日に八生兵庫分教会として真心を込めておぢばへお供えをさせて頂く上に“成人寄心袋”をご用意させて頂き、皆様のご協力ご参加をお願い申し上げます。( 1口2千円以上)

にっこり女子会 テーマ「身体の健康と食について」

11月22日(土) 14:00~

会場:八生兵庫分教会 2階 直会室

美味しいスイーツやバザーなどを用意して

皆様のご参加をお待ちしております。

ココロほっこりと学びと癒しの午後のティータイムはいかがですか?

月間よろこびスケジュール

日   程                                 日  付行    事時   間
11月3日(火)   )◇ 八生兵庫ミニ子供会 ◇13:00神殿集合
4日(火)天浦 三座のおつとめ天浦分教会 霊祭9:00~/終了後霊祭祭儀
6日(木)婦人のつどい/女鳴物・男鳴物練習10:00 神殿集合
8日(土)《 兵庫布教 》10:00神殿集合
10日(月) 土)天浦分教会 月次祭 前日ひのきしん     しん13:00 天浦神殿集合
11日(火) 土)天浦分教会 月次祭10:00執行
12日(水) 土)名田分教会 月次祭/《 西宮布教 》10:00執行/9:30神殿集合
13日(木)《 中央区布教 》9:30神殿集合
15日(土)琴緒分教会 月次祭 11:00 執行
16日(日)天浦 別席団参 /《 松山布教 》9:00 兵庫発/5:30兵庫発
18日(火)  八生兵庫分教会 霊祭/女鳴物男鳴物練習10:00神殿集合
19日(水)《 北区布教 》9:30 神殿集合
20日(木)<天浦分教会布教実習>10:30天浦神殿 集合
21日(金)《 垂水布教 》/男鳴物勉強会(小鼓・笛)  9:30 神殿集合/14:00~
22日(土)◇ にっこり女子会 ◇14:00 直会室(2階)集合
23日(土)  兵神大教会 月次祭10:00執行
24日(月)天浦よふぼくおぢばがえり八生兵庫 8:30出発
26日(火)御本部月次祭   6:30 兵庫出発
29日(土)あまうらおつとめまなび総会8:30 受付開始 9:30 開会
12月1日(月)八生兵庫分教会 月次祭 前日ひのきしん
2日(火)八生兵庫分教会 月次祭10:00執行

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