天理教ってどんな教え?

陽気ぐらしとは?

遠い昔、親神様はこの世を創り、人間を創り、人間が陽気ぐらしをするのを見て、神も共に楽しもうと思いつかれました。

親神様とその子どもである私たち人間が共に楽しむ姿。

それが陽気ぐらしです。

陽気ぐらしをするために、親神様は自然のすべての恵みを与えてくださっています。

陽気ぐらしをするために、親神様が私たちに身体を貸してくださっています。

親神様への感謝をもって、自然の恵みを活かし、お借りしている身体を活かし、私たちは、陽気ぐらしの世界を築きます。

月日にわにんけんはじめかけたのわ よふきゆさんがみたいゆへから

(おふでさき 第14号25)

「元の理」という人間創造のお話

「元の理」はこの世と人間の創造の話であり、親神様の救済の元になる話です。

「元の理」には、次のようなことが解き明かされています。

人間と世界は親神様によって創造されました。

世界中の人間は全て親神様のこどもであり、お互いは兄弟姉妹です。

人間宿し込みの場所が「ぢば」で、全人類のふるさとです。

人間創造の目的は「陽気ぐらし」です。

創造の時より、人間は親神様の守護によって、今日まで育まれて成長してきました。

陽気ぐらしは世界は、人間の心の成人にともなって実現されていきます。

陽気ぐらし世界は、人間の成長に応じて形作られてきました。

親神様が、教祖を「月日のやしろ」として、この世に現れたいんねんが明らかにされています。

世界たすけの方法である「かぐらづとめ」。

そのつとめにより、

  • なぜたすかるのか?
  • なぜそのようにつとめるのか?

を教えられています。

せかいぢういちれつはみなきよたいや たにんとゆうわさらないぞや

おふでさき第13号43

月日にハせかいぢううハみなわが子 かハいいゝばいこれが一ちよ

おふでさき第17号16

親神様の御守護

私たちの生命に授け、生かしてくださっている親神様の御守護を十に分けて教えられています。

そして、その一つひとつに神名をつけて、身体の機能や火・水・風などの自然の恵み、営みなどあらゆる側面から親神様の御守護を感じ取れるようにお説き分けくださっています。

くにとこたちのみこと人間身の内のうるおい、世界では水の守護の理。
をもたりのみこと人間身の内のぬくみ、世界では火の守護の理。
くにさづちのみこと人間身の内の女一おんないちの道具、皮つなぎ、世界ではよろづつなぎの守護の理。
月よみのみこと人間身の内の男一おとこいちの道具、骨つっぱり、世界ではよろづつっぱりの守護の理。
くもよみのみこと人間身の内の飲み食い出入り、世界では水気すいき上げ下げの守護の理。
かしこねのみこと人間身の内の息吹き分け、世界では風の守護の理。
たいしよく天のみこと出産の時、親と子の胎縁を切り、出直しの時、息を引きとる世話、世界では切ること一切の守護の理。
をふとのべのみこと出産の時、親の胎内から子を引き出す世話、世界では引き出し一切の守護の理。
いざなぎのみこと雛型ひながたたねの理。
いざなみのみこと雛型ひながた苗代なわしろの理。

かしもの・かりもの

私たちは、身体を自分のもの、自分の自由になるものと思い込んでいます。

実は、人間の身体は親神様によって創られ、親神様が私たちに貸してくださっているのです。

私たちの身体はかりものなのです。

心だけが自分のものであり、親神様はその心通りに身体や身の回りの一切の御守護をくださるのです。

借り物である身体は、貸して下さっている親神様の思召しに適う使い方、つまり陽気ぐらしのために使うのが本来の使い方なのです。

にんけんハみなみな神のかしものや なんとをもうてつこているやら 

おふでさき第3号41

ほこりの心づかい

陽気ぐらしは、一人ひとりが自分勝手な心では実現しません。

親神様は、そのような心遣いを「ほこり」に例えてお諭くださいます。

ほこりは、吹けば飛ぶような小さなものですが、油断をしていると、いつの間にか積り重なり、ついには椎野 美保のようにこびりついてしまいます。

それと同じように、自分勝手な心を使っていると、やがては心が曇り濁って、親神様の思召しが悟れなくなるばかりか、十分なご守護を頂けなくなってしまいます。

これが身体の不調、事情のもつれとなって現れてくるのです。

八つのほこり

このほこりの心づかいを反省する手がかりとして、

  • をしい
  • ほしい
  • にくい
  • かわい
  • うらみ
  • はらだち
  • よく
  • こうまん

の八つのほこりを挙げ、さらに「うそとついしょこれきらい」と心づかいの間違いを戒められています。 

教えの意味を理解し、教えの心を定規として、心づかいを改めるならば、心はすきやかとなり、体調も鮮やかに治まります。

栗はイガの剛いものである。

そのイガをとれば、中に皮があり、また、渋がある。

その皮なり渋をとれば、まことに味のよい実が出て来るで。

人間も、理を聞いて、イガや渋をとったら、心にうまい味わいを持つようになるのやで。

天理教教祖伝逸話篇77話

陽気ぐらしのヒント

たすけあい ~陽気ぐらしの心=人をたすける心~

親神様によって創られた人間はみんな、親神様のこどもであり、兄弟姉妹なのです。

兄弟姉妹が互いにたすけあって、陽気に暮らす姿が親神様の一番の望みなのです。

自分だけがたすかりたいという心から、他の人をたすかりを願う心になることが大切です。

人をたすける心は、陽気ぐらしの心です。

やさしい心になりなされや。

人を救けなされや。

癖、性分を取りなはれや。

天理教教祖伝逸話篇 123

人を救けたら我が身が救かるのや。

天理教教祖伝逸話篇 42

世界は、この葡萄のようになあ、皆、丸い心で、つながり合うて行くのやで。

この道は、先永う楽しんで通る道や程に。

天理教教祖伝逸話篇 135 

たんのう ~何事も喜びに変えて~

病気になったり、不幸な出来事が起こった時、人は悩み苦しみ、心が暗く沈んでいまいます。

どんな不幸な姿が現れたとしても、それは決して神の罰ではありません。

このままの生き方、心の使い方では、さらに暗く苦しい運命へ落ち込んでしまいます。

そうならないように、早く自分自身の姿に気づき、ほこりの心から陽気ぐらしの心へと入れ替えて暮らしてくれるように、との親神様のたすけてやりたいという親心からのお知らせなのです。

私たちは、自分の身体に、自分の周囲の現れた姿を通して、自らの心の使い方・生き方を反省するのです。

そこに、おわびと反省の心が湧き上がってくるとともに、そんな自分におかけくださっている親心の深さが悟れて、言い知れぬ喜びを味わせていただけます。

現れてくる姿を親心と悟り、心を改めて親心に添う生き方を求め、心明るく勇んで生きる。

この治め方を「たんのう」と教えられるのです。

ひのきしん ~報恩感謝の行動~

私たちは、親神様から身体をお借りし、日々絶えることなき親神様の十全の守護を頂戴して生きています。

ひのきしんとは、そのご恩に報いる感謝の心から生まれる行いです。

日常生活の中で心掛けさせていただくものです。

ぢばに伏せ込むひのきしん、それぞれの教会での御用を始めとして、広く職場や地域社会で人の役に立つ活動など、その表し方は実に様々です。

ただ、ひたすらひのきしんを続ける姿を、親神様はお受け取りくださるとともに、知らず知らずのうちに、自分自身の心のほこりが払われ、勇みが湧いてきて、運命が明るく変わるのです。

陽気ぐらしへ向かう

親神様が、この教えを明かされたのは、すべての人間をたすけ上げて、陽気ぐらしをさせてやりたいという親心からです。

教祖は、その具体的な手立てとして、「つとめ」と「さづけ」をお教えくださいました。

つとめ

世界中の人々をたすけ、世の中を陽気ぐらしに立て替えていくためにお教えくださったのが「つとめ」であります。

「つとめ」の根本は、「かぐらづとめ」にあります。

かぐらづとめは、人間世界をお創りになった親神様のお働きを、今一度、この世に現わして、陽気ぐらしの世界を実現するためにお教えくだされたものです。

人々が、ほこりのない澄み切った心で、一手一つに勇んつとめるとき、親神様の勇まれ、人々の健康のみならず、自然の恵み、さらには、世の中の治まりにいたるまで、全てのものに御守護くださるのです。

はや/\と心そろをてしいかりと 
つとめするならせかいをさまる 

おふでさき第14号92

さづけ

「さづけ」は、病む人に取り次いで病気回復のご守護を願うものです。

親神様は、取り次ぐ者と取り次がれる者の心の真実をお受け取りくださり、どのような不思議なおたすけを現わしくださいます。

さづけは、祈祷やおまじないではありません

さづけを取り次ぐ人の「なんとしてもたすかってもらいたい」という一途な心(誠真実)にのって、親神様がお働きくださるのです。

神人和楽の世界へ

陽気ぐらしの世界は、神と人とが楽しみを共にする世界です。

人々が創造の目的に目覚め、ほこりのない澄み切った心で暮らせるように、親神様は日々ご守護くださっています。

私たちは、お借りしている身体と自由に使える心を陽気ぐらしのために、日々惜しまずつかわせていただくのです。

神と人とが共につくり上げる世界。

それが神人和楽の陽気ぐらし。

私たちの目指す世界です。