ありのままdiary R187.8.28

ふしから芽が出る

疲れが残ったまま2日目を迎えた。

未信者の方々をお連れ、世話どりをさせていただくことでさまざまなことに気づかせてもらえるが、その中の1つに対応の大変さを痛感している。

私の性格上、本来はあまり人に対して遠慮なく物を申すタイプのため、ある意味気を使った疲れを感じない方だと思っていた。

しかし、お道を何も知らない方、しかも自身がお連れする際の相手に対する気遣いや心配りがこんなにもしんどいのかと感じる日々。

自分的には無理して対応している訳ではなく、ありのままで接して過ごしているため、無自覚なところであらゆる気遣いをしているんだと気付いた。

そして、色んな体力仕事よりも、接待や接客のように、常に相手と向き合って関わることが1番大変でしんどい事なのかと感じてきた。

新たな気付きを得られたし、人との関わりで勉強になることがたくさんあるため、しなければいけないし、自分の成長にとってもした方がいいものだと感じる。

この気付きを心に刻み、これからもさまざまな方と関わっていきたいと思う次第。

今日は、そんな大変なようなありがたいような疲れを感じながら、奮い立たせて歩かせていただいた。

今日も特別なことはなく、ただ淡々と断られて回るようなことだった。

これまで、めちゃくちゃ暑い中にも、戸別に励む間だけは暑さや喉の渇きを忘れたり、あまり感じないようにしていたが、特別今日は喉が渇きっぱなしだった。

「おかしいなぁ、なんでや、」

と、疲労が影響しているのかとか考えながら、とにかくキリの良いところまで歩かせていただいた。

これから少しずつ暑さが和らぐ中だから、改めて暑さを実感しつつも、もう少しの辛抱だという期待も持って歩いたような日。

帰って夜には、お世話になっている先生方や先輩布教師とお話しする場があった。

そこで、もう休もうかというタイミングで、間接的にある仲間の心が折れそうだということを聞かされた。

そこで、この地で共に苦しみながらも、楽しみを持って頑張って歩いている同士、なんとか持ち直して前向きに通れるよう、私も心を配って気を遣えるように努めていきたいと思った次第。

またぼちぼちコツコツと、歩きたいものですね。

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